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| JR福塩線 河佐〜備後三川間旧線 |
地図を見ていると、ダムの近くを貫く一本の鉄道長大トンネルが目に留まった。 そのトンネルは、地方ローカル線上の一駅区間の大部分を占めており、近年に開業した路線でもない点に旧線の存在を感じた。 ネットで検索してみると、1938(昭和13)年に開業した福塩線のこの区間は、後のダム建設によって1989(平成元)年に付け替えられており、やはりダムの底には線路跡や駅が沈んでいるようだ。 水没前の空中写真から見える線路を書き足した地図を片手に、八田原ダムの湖底に眠る旧線跡を訪ねてきました。
探訪2007.8.18 再訪2007.10.21

備後三川駅を出てすぐ新線は左へとカーブし、その先には約6kmの八田原トンネルが待っている。 真っ直ぐ延びていた旧線は県道の餌食になっている。(A地点)

無機質な八田原トンネル坑口上部には扁額を埋め込む予定だったのだろうか?(B地点)

旧線の路盤にしては手入れがされているので、おそらく護岸整備によって消滅してしまっているのかもしれない。(C地点)

この付近、整備されて全く見る影もなかったが、川の向こうには初めてまともな遺構が姿を現した。(D地点)

この時期、草木が茂り見えないかもしれないが、山を貫く隧道が残っていた。 対岸の広場では何やら開催されており、大勢の人の目に触れるのを嫌い接近しなかったorz(D地点)

隧道内部へと延びる電線の支柱には、JRの虎模様ボックスが残っているのが見える。(D地点)

橋梁があったと思われる場所をよく見てみると…。(E地点)

橋脚の基礎部分ではないだろうか?かつては3連の橋梁が架かっていた。(E地点)

左側の砂地が道路跡であり、すぐ右に寄り添っている緑の一段低い部分が線路跡。(F地点)


この時は見えなかったが。(G地点)

再訪時、同じ箇所を撮影。 水位が下がっていたため、橋台が現れた。 ちなみに左が旧線、右が道路のものである。 湖面まで降りられる様だが時間の都合上、上から眺めるだけにした。(G地点)

カーブミラーが向日葵になっている。 何かこういうの好きだなー。(H地点)

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| 山陽国策パルプ専用側線跡 |
島根県江津市の中心部にそびえ立つ煙突が目を引く日本製紙ケミカル(旧山陽国策パルプ)には、専用の貨物線が存在していた。 1996年の廃止から12年の歳月と、大部分が製紙会社の敷地内という事で、簡単な探訪にとどまった。

JRの列車内や国道からも見える分岐地点。 画像右上の跨線橋が国道。

ポイント付近のごく一部だけ線路が残されている。

サンパル方面。 緑に覆われているが辛うじて、線路があった事が判る。 カルバート上部には何故か石が並べられていた。

路盤へ降りてみると、足下にはきめ細かな砂が堆積していた。

振り返ってJR側。 上部には橋のように、時代を感じさせる欄干が設置されている。

まだバラストが残っていた。

ここには警報機無しの手動式踏切があったらしい。(B地点)

この日、街を見下ろす星高山は年に数回ほどの雪景色となっていた。

A地点2007.7.28探訪 B地点2008.1.2探訪
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| JR山陰本線 阿弥陀川橋梁 |
JR山陰本線・大山口駅東方の阿弥陀川に架かる阿弥陀川橋梁の両岸には廃された煉瓦橋台が残っている。 ここは山陰の中で、最も早い明治35(1902)年に鉄道が開通した区間の一部である。 山陰の鉄道建設史によると、昭和45年に橋梁改良工事が行われている。
余談だが、大山口駅の開業は大正15(1926)年の事である。
場所
探訪 2007.8.18
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| 一畑電気鉄道 広瀬線 後編 |

別々の道を進んだ廃線跡と県道はすぐに合流し、飯梨停車場跡に到着。 道路左手の民家の一部が駅舎の一部だそうだ。(H地点)

植田停留所跡は場所の特定ができなかった。 温泉前停留所跡は現在駐車場になっている。 山に目を向けると、勢いよく流れ落ちる滝が目に入る。 四角い部分が廃線跡である。(I地点)

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| 一畑電気鉄道 広瀬線 前編 |
島根県安来市のJR荒島駅から田畑の中を走り、南にある広瀬町までを結ぶ全長8.3kmの広瀬線は、昭和3年7月に開業。 今では一畑電鉄といえば、島根県唯一の私鉄であるが、広瀬線は開業当時「広瀬鉄道」という言う名の私鉄であった。 その後の経営不振などにより他の鉄道会社との合併・分離で以降、山陰中央鉄道〜島根鉄道の名を経て、最終的には一畑電鉄に吸収され一畑電鉄広瀬線となる。 昭和35年6月20日、広瀬地区の鉄道32年の歴史に幕を降ろす。
荒島を出発した電車は、仲仙寺・西中津・田頼・飯梨・植田・温泉前・出雲広瀬と22分かけて走っていたようである。 他に、古川駅(停留場?)があったという記述が「飯梨郷土誌」で見受けられた。
探訪 2007.8.14,15
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