山陰~中国地方を中心とした廃道・廃線・近代土木遺産などを巡る事を目的としたブログです。
プロフィール

K

Author:K
旧道や古い道路構造物・廃線跡などの「古い美しさ」に惹かれます。



最近の記事



最近のコメント



最近のトラックバック



月別アーカイブ



カテゴリー



リンク

このブログをリンクに追加する



ブログ内検索



ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる



RSSフィード



スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

JR伯備線 法曽トンネル旧線跡(岡山県新見市)
1928年(昭和3年)に開業した方谷(ほうこく)駅~井倉駅間の旧線は1934年(昭和9年)の室戸台風の影響により、第五高梁川橋梁(L=119m)の流失、壮ノ宮トンネル(L=227m)では地すべりが発生したため僅か6年で廃止され、新線に付け替えられる事になった。

広域地図

探訪日2009年4月11日

詳細地図

A地点
この辺りから旧線が分岐しているようだ。
手前の水路には枕木で組まれた橋が架けられている。
A
隣には後に貫通した法曽トンネル(L=429m)が口を開けている。
A

B地点
行き止まりのA地点までは保線などのために関係車両の通行があるのだろう、旧線上に残る轍。
B

C地点
壮ノ宮トンネルが見えてきた。
C
三重巻きの煉瓦とコンクリートで出来た坑口。
入り口には大量の土砂が積み上げられ、小さな虫(カゲロウ?)の大群が飛び交い、湿気の多いジメジメとした雰囲気に耐えきれず、入り口から内部の様子をうかがうことしかできなかった。
C
画像からも判別できるように内部の様子に異状が見られる。
内部の様子
画像調整すると、右へカーブしているのが見える。
調整後

D地点
反対側にやって来ました。
オーバークロスする国道法面に落書きのある辺りが旧線で、当時は国道と平面交差していた。
D

E地点
D地点から川を見ると、旧第五高梁川橋梁の橋脚の基礎部分が残っているのが確認できた。
E

F地点
対岸の茂みにも橋脚らしき構造物が。
F
角度を変えて。
F

現在の第五高梁川橋梁を行く381系特急「やくも15号」
特急やくも号

参考文献
「鉄道遺産を歩く 岡山の国有鉄道」小西伸彦 著
「伯備線建設概要」鉄道省岡山・米子建設事務所 発行

スポンサーサイト
JR福塩線 河佐駅~備後三川駅間旧線 続報
前回の記事

2007年10月の再訪時、水辺に降りられる事が分かり「何れはもう一度訪れて時間をかけて間近で見てみたい」と思っていましたので、八田原ダムの貯水量が更に低下したタイミングを見計らって再訪問してきました。

2008.8.3再訪

hattabara2-2008.jpg

水面からしっかりと顔を出していますね。
赤丸が鉄道、緑の丸が道路の橋台。(a地点)
IMG_3280.jpg
ズームで
IMG_3281.jpg
道路の橋台
昭和49年の空中写真では川に沿って道路が付いており、狭隘部分の改良として後に架けられたのか、それともダム工事のために架けられたものなのかは不明。
IMG_3284.jpg
鉄道の橋台
谷積みの石垣から鉄道らしさを窺える
IMG_3285.jpg
背面にも石垣を築いたものが存在。
IMG_3287.jpg
左右対称が美しい、底から見上げた井庄原大橋。
IMG_3283.jpg

では、ダムの底を散策してみましょう。
↓続きを読む
[READ MORE...]
JR山陰本線 三保三隅駅~岡見駅間旧線(中国電力 三隅発電所専用側線)
JR山陰本線の車窓からは、どこまでも広がる日本海と山々が交互に流れ、時折集落を通り抜けるローカルな雰囲気が満点で『偉大なるローカル線』とも称されている。
突然、海岸線から離れてトンネルが連続する三保三隅駅~岡見駅間は中国電力三隅火力発電所の建設に伴い、1992年に経路変更が行われた。


2008年7月19日探訪
2008年9月14日再訪

三隅火力地図


山間の切り通しを過ぎるとすぐ、新旧の分岐部分が現れる。
新線は真っ直ぐ、道路を潜る非常に短い耳峠トンネルへ。
一方の旧線(赤点線)は、緩やかにカーブしながら海岸線に沿って進んでいた。(A地点)
a.jpg
耳峠トンネル銘板

耳峠トンネルを抜けるとすぐ、第一松原隧道が口を開けている。(B地点)
第一松原遂道坑口

当時からのものだろうか?
旧線の築堤下部には用水路のトンネル。(C地点)
『ないねん出版』さんのサイトで、1987年の「いそかぜ」。
A地点方向を向いて撮影されたと思います。(列車の後ろにガードレールが見える)http://nainen.jp/siryoukan/railway/jr_dcle/01jr_dcle.htm
用水路

かつて切り通しであった部分だが、一段上を通る道路と同じ高さまで土が盛られている。
藪の先にはこれから向かう地点が見える。(D地点)
切り通し部

D地点で行き止まりのあぜ道になっているが、砂利道になった以外は特に手も加えられておらずそのままなのが良い。
波除けの板は、DVD「埋もれた轍」でも登場する遺構。[1984-8](E地点)
e.jpg

谷積みの石垣も特徴的。
奥にはD地点の切り通し跡が見える。(F地点)
f.jpg
コンクリート法面には[1968-9]と刻印。
f2.jpg

踏み切り設備の跡が確認できる。(G地点)
踏み切り跡
字は消えてしまい読めなかったが、築堤脇にキロポストも現存していたのは思いがけない発見であった。
キロポスト

フェンスで閉ざされた先にはレールを撤去された橋梁。(H地点)
h.jpg
橋梁名称は不明だったが、新線が岡見川橋梁の名であるため同一名称と推測。
ガーダー
昭和44年に橋台が補修されたという事だろうか。
橋梁銘板

表通りから脇道を少し入ったところの旧線部分や発電所敷地内は多目的広場として整備され、一般に開放されていたのだが利用時間が決められており、初回訪問時は夕方遅い時間であったため施錠されておりとても悔しかった事を思い出した。
ちなみに、案内板下側がさっきまで居た方向。(I地点)
※最下部に追記あり
多目的広場案内図再訪
i5.jpg再訪
松原隧道入り口に看板が立ってますね。
松原遂道東側再訪
初回、フェンスの外から[1954-9]の刻印部分だけ撮影できた。
i.jpg
松原隧道東入口には当時の写真付きの説明看板が設置されている。
DF50型が牽引する客車と、キハ181系特急「おき」だ。
i3.jpg再訪

では入ってみよう!
隧道中央の北側一箇所に待避坑
松原遂道待避坑再訪
路面は舗装され、隧道内の状態も悪くはなさそう。
松原遂道内部再訪

形状にやや特徴ある坑門。
この先は施設内のためフェンスで阻まれており、遊歩道は90度進路を変える。
左下の看板は斜面の立ち入り禁止を促すもの。(J地点)
※最下部に追記あり
松原遂道西側再訪

付け替えられた新線はトンネルと高架橋の連続する高規格(K地点)
現在の付け替え線

続いては岡見駅側からアタック!
↓続きを読む
[READ MORE...]
足立石灰工業株式会社専用側線跡
1928(昭和3)年に山陰と山陽を結んだ伯備線には、かつて足立(あしだち)駅~新見(にいみ)駅間で蒸気機関車「D51」の三重連が走っており、多くのファンがその雄姿をカメラに収めに来ていたという。
その三重連こそ、足立石灰工業株式会社からの貨物列車であった。
同社は、1942(昭和17)年から兵庫県姫路市へ製鉄用石灰石の供給を開始し、戦時中は軍需物資、戦後は復興のために原料を運ぶ専用列車が走っていた。
国鉄民営化などの関係で、1986(昭和61)年(とみられる写真)で列車の輸送に幕を降ろしました。
※文末の「足立石灰工業」さんへのリンクを進み、インデックスの[地域情報]を進むと貴重な当時の写真を拝見することが出来ます。

探訪 2009.4.18

短いですが、赤線が側線跡です。
名称未設定

足立駅構内、架線柱を見ると幅広い敷地が判る。
IMG_3875.jpg

伯備線の線路はそのままトンネルへ向かっている。
IMG_3876.jpg

こちらには古いホームのようなものが。
IMG_3878.jpg

石の積み方や風化具合に古さを感じるが、当時からのものであるのか不明。
IMG_3879.jpg
端のアスファルトは同じ高さまでかさ上げされている。
IMG_3880.jpg

反対の現役ホーム。
大規模な石積みの擁壁に目を見張る。
IMG_3881.jpg

伯備線に並行して油野川橋梁が架かっていた。
IMG_3882.jpg
橋脚は撤去され、両端の橋台のみ確認できる。
IMG_3883.jpg
一部だが、石積みであったようだ。上部には枕木の束で柵がされている。
IMG_3884.jpg

橋台部分から振り返り。
かつてはここからも線路が幾重にも延びていたのだろう。
IMG_3885.jpg

橋を渡るとすぐに伯備線と分かれる。
川と高い法面に阻まれ、柵以外の様子をうかがい知る事は出来ない。
IMG_3888.jpg
IMG_3889.jpg

足立駅敷地は川岸を埋め、山を切り取り造成された。
石垣の延長は545m、高さ12mにもなる。
IMG_3887.jpg

IMG_3874.jpg


現在の足立駅は簡素な待合室だけがある、ひっそりとしたものになってしまった。
IMG_3886.jpg


参考
山陰の鉄道建設史
足立石灰工業株式会社様ホームページ

JR山陰本線 米子駅~安来駅間旧線
1908(明治41)年11月8日の開業から100周年を迎えた安来~松江間より早い4月5日に開業したこの区間にも、1982(昭和57)年の電化・複線化の際に新設された隧道の脇に役目を終えた旧隧道が眠っている。

探訪日2006年11月25日
再訪日2007年10月14日

旧線3

国道脇の道からも全長140mの旧・門生(かどう)隧道米子側坑口が見えるのだが、きっちりと塞がれている。
また、降りられる場所もなく、大動脈である国道9号線のすぐ脇という事もあり、ドライバーの視線が非常に気になる。
反対の安来側坑口も同様、車がひっきりなしに行き交う歩道のない国道脇からのアプローチも出来ず、写真も撮らず逃げるように後にしてしまった。(A地点)
旧門生隧道

擬人化されたプッシュホン
この辺りは清水寺信号場があったのだが、複線化された現在、面影を感じるようなものはない。(B地点)
IMG_0945.jpg

ここには近代土木遺産でも取り上げた日本初の鉄道用コンクリートアーチの島田川暗渠がある。(C地点)

一旦、安来側から見てみましょう。
旧線1

車一台がやっと通れるほどの幅であるため、信号によって制御されている。(D地点)
IMG_0937.jpg

この先で旧線は緩やかなカーブを描きながら分岐して行く。(E地点)
IMG_0933.jpg

しかしながら草木が繁茂しており、遠くからでは全く見えない。
神社脇の斜面から、朧気ながらも旧・島田隧道の安来側坑口を確認できた。
あぁ・・・塞がれているが、付け柱や笠石も見えるよー。(F地点)
安来側旧島田隧道
安来側旧島田隧道

旧・島田隧道米子側坑口へ行ってみるとそこには。
↓続きを読む
[READ MORE...]




上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。