山陰~中国地方を中心とした廃道・廃線・近代土木遺産などを巡る事を目的としたブログです。
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旧道や古い道路構造物・廃線跡などの「古い美しさ」に惹かれます。



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掛戸(かけと)の潮止め水門
島根県大田(おおだ)市久手(くて)町にはかつて「波根(はね)湖」という湖があった。
その歴史は古く、湖水の氾濫を防ぐため700年前の鎌倉時代、海に面していた山を七年掛かりで開削している。
もちろん現代とは違い、全てが手作業である。
そして、昭和18年~昭和26年にかけては水田として干拓された。


近代土木遺産HPによると、大正7年完成の石水門だが昭和25年に廃止され現在、遺構の半分は消滅している。

場所

探訪 2007.03.24

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島根県道162号大社立久恵線 険道区間
県道162号大社立久恵(たいしゃたちくえ)線(以下r162)は島根県出雲市大社町から出雲市乙立町に至る県道である。
また、私の知る限り(多くは知らないが…)では島根県内一の険道にノミネートしたい。

既に公開済みである近代土木遺産の物件・啌谷川暗渠の事前調査時に車で来た事を後悔させられたため、今回はチャリでの走破に挑む。

20070314225039.jpg


2007.02.12 探訪

一畑電鉄立久恵線の乙立駅跡でもある、国道184号線の押しボタン式信号交差点からr162が始まっている。
乙立駅


国道から分かれるとすぐ、親柱に丸い石のモニュメントがある乙立橋を渡る。
IMG_1333.jpg

学校の裏手を通るr162の脇に「この先大型車は通行出来ません」の看板が目に入る。
IMG_1334.jpg

道幅比較のため、チャリ(全長1.8m)と。
幅1.8mの乗用車で通った時は、ギリギリだと思っていた…。
IMG_1335.jpg

この辺りは所々補修されており、少し広い箇所もある。
しかしながら、山と谷に挟まれているため気は抜けない。
IMG_1336.jpg

ここで進路は右へと変わり、川を渡る。
諄いようだが、この下に明治生まれの啌谷川暗渠がある。
IMG_1337.jpg

看板右上・右下
「これより4.1kmの間積雪時通行不能です」
「倒木注意」
「巾」?
IMG_1342.jpg

落ち葉の轍が出来ている。
IMG_1345.jpg

U字カーブを描いているが、離合スペースは特に無い。
IMG_1346.jpg

左の突き出した岩・右の弱い路肩に注意!
IMG_1347.jpg

えーっと、ここまで既に幾つかのカーブを通過していますが、カーブミラーを見掛けた記憶はありません。
IMG_1348.jpg

見事な苔です(^^;
IMG_1349.jpg

数少ない離合スペースの脇には巨岩が鎮座している。
IMG_1351.jpg

ようやく目にしたと思われるカーブミラー。
路肩を踏み外すと転がり落ちますよ(^^;
IMG_1352.jpg


この先、大自然の驚異を見せつけられる事に・・・。

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一畑電気鉄道立久恵線 後編
次は終点の出雲須佐です。
終盤になったところでようやく、まとまった遺構を目にする事が出来ます。
向名~出雲須佐


廃線跡を辿っていた国道が対岸へと分岐する部分に二本の隧道が連続している。
こちら側は明谷隧道である。
入り口はフェンスで閉じられているため、立ち入る事は出来ない。(⑦地点)
明谷坑口

意外にも、内部の状態は良さそう。
廃線後、道路トンネルとして使われていた名残の照明が残されていた。
明谷トンネル内部

隧道から分かれ国道を進むと、対岸の黄色いロックシェッドが目に入る。(⑧地点)
鉄道時代のものか自動車時代のものかは不明。
左下には大きな岩が頑張っている。(汗
ロックシェッド

再び合流する地点には二本目の呑水隧道が口を開けている。
ここにもロックシェッドが施工されている。(⑨地点)
呑水トンネル坑口

素堀りの内部は資材のようなものが置かれている。
呑水トンネル内部

隧道を回避するルートが出来る昭和50年代後半までは、信号機による交互通行が行われていたようだ。
国道の分岐付近

合併して出雲市となった旧佐田町の「閉町記念誌」によると、以前はこの辺りに役場があったそうで、掲載されていた「呑水地内を走るガソリンカー」と似たアングルで撮影。(⑩地点)
20070305233040.jpg

出雲須佐に到着する直前、神戸川を渡っていたが出雲須佐側に辛うじて橋台の一部が焼却炉の囲いとして利用されているようだ。
画像左に見えるのは旧佐田町役場。(⑪地点)
出雲須佐側の橋台

二面三線と車庫があった出雲須佐駅の駅跡付近は、路線バスの停車場・郵便局・銀行・JAとなっている。(⑫地点)
出雲須佐駅跡付近


出雲須佐から先、県境に向かうに従って山は険しさを増し、積雪量も比べものにならない程の難所をどう乗り越えるつもりだったのだろうか…。

昨年の豪雨でも甚大な被害が出ていたが、立久恵線が走っていた当時も度々、落石・土砂崩れなどの被害に見舞われていたという。
また、列車転覆での犠牲者も出ている。

漸く国道184号線として陰陽連絡の役目を果たせたのだろうか?

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一畑電気鉄道立久恵線 中編
立久恵線所原~

所原を過ぎしばらくすると、緩やかな曲線を描きながら築堤上を進む。
右手には旧道が見える。(T地点)
築堤

右後ろから来た旧道が交差して左上へと分かれる、この広くなった部分辺りが殿森駅跡らしい。(U地点)
殿森付近

殿森駅跡を過ぎてすぐ、歩道がないのが幸い(?)して曲線美溢れる築堤にキロポストだけが残されている。(V地点)
キロポスト


※W地点の記入は誤りですm(__)m

ここからは以前、上下線分離の一方通行路だったが近年、廃線跡部分が開削されて左側の旧道部分すら残っていない部分も少なくない。(X地点)
20070302211515.jpg

20070302211609.jpg

20070302211636.jpg


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一畑電気鉄道立久恵線跡 前編
山陰と山陽の観光地を結ぶという壮大な夢を抱き、1926(昭和元)年に「大社宮島鉄道」の建設が始まった。

6年後の1932(昭和7)年、出雲今市~出雲須佐間が開通したものの、資金力の低下と国鉄木次(きすき)線に陰陽連絡の座を奪われた事により出雲須佐以降の建設を諦め、1938(昭和13)年に名前を「出雲鉄道」へ変更。
その後も依然経営状態は苦しく、1954(昭和29)年に一畑(いちばた)電気鉄道に吸収され、一畑電気鉄道立久恵(たちくえ)線となるが電化される事はなかった。(電鉄の非電化路線となる。)
これまで至る所で土砂崩れなどの被害を受け復旧が行われてきたが、1964(昭和39)年の豪雨災害により運休に追い込まれ、復旧されないまま翌1965(昭和40)年に廃止される。

立久恵線 出雲~殿森


探訪 2007.02.04,12

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